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「こんな逸話をきいたことがあるだろうか…」
爽やかに微笑む年上の恋人に身をまかせながら、シドはため息をつく。
「どのような」
「花嫁の物語だ。その昔…神々がまだ人にいりまじって暮らしていたころ、
ローマにある戦いがおこった。当時のローマは戦で戦が終わるほどの戦乱のとき、
畢竟都市には男があふれ、女がたりなくなったという。そこで施政者は…近隣部族より
若き乙女を略奪したのだ。」
「…そして、乙女を奪い返そうとした部族と、ローマの間で、再び
争いがおこった」
「そうだ」
雨を受けて、湖面にさざなみがたつように、
自分の言葉を継ぐシドを見下ろし、サガは笑みを深める。
「だが、戦は終わる。かつて意にそまぬ婚姻を強いられた乙女たちによって。
いまは妻となり、母となった乙女たちは、夫と父との間にたって叫んだのだ。
もう、戦いはたくさんだと」
「…それが…いま、わたしがおかれているこの状況と、どうつながるのです」
理不尽な状況に対して、シドが不満をもっていることは、彼の口調からも明らか。
しかし、その苛立ちをサガにぶつけるには、彼はあまりに衰弱していた。
「ああ…まあ…、物語の冒頭、ローマの戦士に横抱きに抱かれ、乙女らは
終焉の地となるイタリアの古都に入ったのだ。そのときの様子から、結婚式で
花婿が花嫁を、まるで王侯の婦女にするように、抱き上げ、運ぶ習慣が
おこったとか…」
眉間に指をあて、苦しげにその頭を押し付けてくるシドを見下ろし、
サガは笑みをひっこめる。
「…時空の移動は…さしもおまえでも辛かったか」
「そうですね…心積もりもさせていただけなかったものですから」
とげとげしく言い放ちながらも、シドの体はサガによりかかり、動けない。
そう…、
次元を切り開き、望む所に望むまま移動できるという、神の領域に踏み込んだ
一途な恋人(サガ)により、彼はいま、太陽があまねくふりそそぐギリシャの地にいた。
大切な宝物のように、サガはその彼の体を-いわゆるおひめさまだっこして-包みこんでいる。
ふたりの眼前には、教皇の間。一歩下がれば、風ふきすさぶ岸壁。
逸話を模して言うなら、こうなるだろう。
恋人の不在に耐えかねた一途な戦士が、その類まれなる力を私利私欲のために用いて
時空をねじまげ、恋人が住む北の国へと降り立った。そして、おりよく
ひとりで午後のひとときを楽しんでいた恋人を横抱きにかっさらって、
ふたたび時空をわたり、ここギリシャへ帰ってきたのである。
この間、およそ30秒。
「…きもちわるい……」
目を見開いたときには、サガに抱えられ、瞬きをしたと思ったら、次にはギリシャ。
ひと呼吸遅れてやってきたのは、異次元をわたるという不可侵領域にふみこんだことへの
軽い罰…ちょっとした異次元酔いである。
ぐるぐるまわる胸をおさえるシドを、サガは慌てて教皇の間の中に運んでいった。


ふだん自制しているぶん、サガはさみしくなりすぎると、とんだ暴挙に走ってしまうのでした。


十二国記がおよそ6年ぶりくらいに動き出したようです。
短編が掲載されている雑誌、買っておりますが、まだ読めていないとゆう。
てかね~、元々十二国は、出版業界最大のK談からでてたんですが、今回の短編は
文芸の老舗S潮からの刊行。…んん、斜陽の出版業界に風雲急つげる?!
まあ、無事文庫ででてくれるならいいんですが…。

桑○水菜のミラージュ邂逅篇も再始動。
このシリーズの第一作目、夜叉誕生での一節がすごいすきなんです。
『春をむかえると、越後人の足元は一様に泥足となる。それによって、
人々は春の訪れを知るのだと』(S英社・コバルト文庫・『夜叉誕生』より)
文章が綺麗なんですね…。あと、すごい切ない。

つい最近まで、この水菜先生の邂逅篇が、手本にしたい文章であり、
『美しい文章』としてぱっと浮かぶ作品だったんですが、
いまこれと双璧をなす作品…著者に出会いました。
まあ、海外文学ゆえ、訳者の技量もでかいんでしょうが…(あの有名な
訳者、柴田元幸さんですしね)。
その著者は、スティーブン・ミルハウザー。
読み始めると、すすむべき方向を失った迷子のような気持ちになる。
そして、みつけた道は、ひたすら上へ、あるいは下へのびる
螺旋階段。導かれるまま、強いられるまま、ただただ物語の
深部へ踏み込むしかないのです。
圧倒される想像力、構成力、そして幻想的芸術的文章…。
まだ、1冊の本すら読みきっておりませんが、
彼の著作は間違いなく…、かけがえのない物語になってくれそうです。
また、その構成を参考に…というか踏襲して、文章を綴りたいですね。
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